繋がり 1(ネオゲ。隼竜なれそめ。中途半端にラノベ版混じり、竜馬の弟子が気の毒)

つながり

第一夜

恐竜帝国との最後の戦い――竜馬と再会したあの戦いだ――から、数週間が過ぎていた。
武蔵の死後研究所を去った竜馬の行方を、隼人は積極的には追おうとは思わなかった。彼が彼の傷を自分の力で乗り越えるまでは、一人の時間が必要だ。竜馬の感情を尊重しようと隼人は考えた。竜馬が身も心もボロボロに傷つき、武蔵が文字通り決死の覚悟で散っていったあの時、結局何一つ成せず見ていることしか出来なかった自分には、そのくらいしかしてやれることは無いだろうという諦念も、無かったと言えば嘘になる。
闘いの最中での再会後も、竜馬は居場所も告げずにその場を去ろうとしていた。突然現れ、敷島の手を借りたことなど随分自分に食って掛かったくせに。
それを留まらせたのは、彼が腹部に負っていた傷だった。全ての戦いを終えて、張りつめていた精神がふと緩んだ瞬間傷が開いたのだろう。横に立つ竜馬の黒衣がより深く染まっていることに気づいた一寸後、限界だったのか竜馬はふらりとよろめいた。反射的にその背を支えた時、隼人は久方ぶりに彼の肌に触れた。支えた身体は余りにも彼で、隼人はその時やっと『竜馬がここにいる』事実を噛み締めることが出来た気がした。

無謀にも帰ると言い出した言葉は、何と言われようが無視した。
そのまま病院に担ぎ込まれ治療を受けた彼に、隼人は離れていた間の事を何も聞かなかった。というより、ほぼ全壊したネイサーの方につきっきりだったため、彼の病室に顔を出す時間は隼人には殆どなかった。
少し開けると言い残し突然出て行ったまま帰らない師をやっとのことで探しあて、竜馬の道場の弟子達が押し掛けたことや、早乙女博士が訪れたこと、入院中ネオゲッターチームと話をしてずいぶん仲良くなったことは伝聞で知った。
『武蔵の墓参りに、行かねぇとな』
隼人がやっと時間をつくって彼の見舞いに行けたのは、退院の日だった。
元々回復力の高い彼は、どうやらすっかりよくなったらしい腹の傷の様子を訊く隼人に、一通りもう平気だと笑って見せた後、そんなことを言った。
『そうだな――行くか、今から』
『い、いまからぁ!』
『もう、平気なんだろう?』
ついでにネオイーグルで送る。と言うと、道場へ帰るための費用と時間の節約になると思ったらしい竜馬は案外すんなりと首を縦に振った。

武蔵の墓に花と酒を手向けて、一通り報告をした後、隼人は竜馬を道場に送った。
『つうかよ、私用で出して良いのか?コレ?』
『あぁ、経年耐久テストと非常時出動のために、ほぼ私用で搭乗できる権利をもぎ取った』
『まじかよ!』
『ゴタゴタに乗じて――敷島博士に唆されてな。まぁ、代わりに燃料費はこっち持ちだ』
苦笑しながら言うと、うえぇと竜馬はげっそりした顔をした。
意外だったのは、竜馬に『茶ぐらい飲んでけよ』と道場に上げられたことだった。なんとなく、送ったあとはさらりと別れの言葉を告げられると思っていたのだ。直ぐに竜馬の弟子に案内され、おそらく古寺を再利用しているのだろう道場の一室に通された。いかにも年季の入った生活のつましさが感じられる内装だったが、長い時を経ているだろう柱や梁にはそれなりの貫禄というか、風合いがあった。
住み込みの竜馬の弟子達に思わず恐縮するほどに頭を下げられ、もてなされ、隼人は本当に久し振りに竜馬と腰を落ち着けて話し合える時間を持てた。とは言え、多くを語り合った訳ではない。ぽつりぽつりとお互いのこれまでの経緯を教えあったが、その行為は二人に時間の作った溝の意外な深さを知らしめた。隼人の言葉はどうしても淡々と事務的になり、竜馬もまたどこか辿々しい様子だった。
よくよく考えてみれば恐竜帝国も滅んだ今、お互いの間には然したる関係はない。日本軍大佐と空手の道場主。お互い同じ目的のために選んだ道だったが、全てが済めばてんでばらばらの生活が待っていた。勿論固い絆で結ばれた仲ではあると二人とも思ってはいるが、その三柱は既に一つが欠け、時の流れがこれからもこの結び目をほどかずにいてくれるかは確証がない事だった。
「そろそろ、帰るか」
腕時計を眺めて、隼人はそう告げた。あまり長居すれば竜馬の生活に差し障る。ただそう思ったからだった。
「あ、おめぇ忙しいのに長居させちまったな」
引き留めちまって悪かった、と竜馬は謝りながら笑った。その瞳に一瞬寂しさにも似た表情が浮かんだ気がした。だが、きっと思い過ごしだろうと隼人は少し目を伏せた。
「かまわん。基地の復旧工事の目処が中々煮詰まらなくてな。働き詰めが過ぎると今日の午後は強制的に休暇にされた」
「なんだ、真面目だなおめぇは」
竜馬に余計な気を使わせない為に白状したことだった。だが、聞いた彼はなんだか嬉しそうに破顔した。険の無い笑顔は懐かしくも新鮮で、隼人は竜馬のその表情が見られただけでも、今日ここに来てよかったと思った。
「じゃあよ、予定ねぇなら良かったら夕飯食ってかねーか?一人ぐれぇ増えてもかわんないからよ」
だが、次に続いた竜馬の台詞は予想外だった。
「…良いのか?」
「あぁ。ていうか、明日急ぎとかじゃねぇなら泊まってってもいいぜ。そしたら酒も飲めるしよ」
ゲットマシンでも飲酒運転はダメだもんなぁと笑う竜馬を見つめながら、隼人は一瞬真っ白になった頭で、とりあえず飯だけは世話になる、と返した。

久方ぶりに師範の手料理が食べられると知って、弟子たちは無邪気に見えるほどに喜んでいた。煮物が良いです、肉料理が良いですと大きな図体に似合わず子供のようにはしゃぐ弟子らを、兄弟子と思われる一人が『お前ら!師範は本調子じゃねぇのに飯までつくってくださるんだぞ!わがまま言うな!』と叱責していた。
どういう経緯で集まった者達かは知らないが、彼らの竜馬に対する思慕の情は篤いようだった。出自は解らぬがとにかく人の良さそうな連中ではある。そして皆、師の旧知の友である隼人にも敬意をもって接してくれた。
男所帯のむさ苦しさはどうしてもぬぐえなかったが、隼人は久方ぶりに賑やかな食卓と言うものを経験した。『なんかうるさくなっちまったな』とすまなそうに笑う竜馬に、これはこれで良いと返しながら、隼人は竜馬の手料理の美味さに「これははしゃいでも仕方がない」と納得していた。実際、竜馬の手料理は驚くほどうまかった。けして几帳面な料理ではなかったが、作った者の暖かみを感じられる味だった。
「美味いな。前から自炊できたのか?」
「本格的に始めたのはここに来てからだぜ。まぁそんなにちゃんと勉強した訳じゃねぇけどよ、うめぇんだったらよかったぜ」
素直に誉めると、横に座っている竜馬は少し照れ臭そうにはにかんで後ろ頭をかく。そんな風に笑う竜馬は新鮮で、隼人は暫しその表情から瞳を離せなかった。
「なんだよ、俺の顔になんかついてんのか?」
「あ、いや…」
「師範!おかわり要りますか?!」
「俺ぁいい。隼人、おめぇいるか?」
「いや…」
端から見ればいつも通りの無表情だった。だが、隼人は竜馬の飾らない笑顔を見る度に、ずっとはりつめていた胸の底の凍土が、春の暖かさに溶かされていくのを感じていた。
「――酒を、少しもらっても良いか」
「なんだよ!やっぱ泊まるんじゃねぇか!いいぜ!おい、酒飲むぞ酒!」
隼人の言葉に、竜馬は心から嬉しそうに笑った。
まだ、隼人には現実味がなかった。竜馬が自分の横で笑っている。手酌じゃなんだろと言って渡されたグラスに酒を注いでくれる。ずっと、彼が自分の前から消えたあの日から、ずっと夢見ていた――そして、その度にそんな甘い幻におぼれている場合ではないと望みを圧し殺していた――光景だった。
髪が伸びた。共にいた頃から逞しかったその身体はさらに鍛えられていて、胴着のあわせから見える胸には大きな傷跡がある。あの頃とは何もかもが違う。だがその笑顔を見ていると、何も変わらないようにも思えた。
横顔、睫毛の長さ、屈託ない声音、自分の方を向く度に動く黒髪の揺れ方。全て、あの頃想い焦がれていた彼のものだ。そして、その恋情はこんなに時を経た今も、隼人自身驚くほどに全く温度を失なっていなかった。むしろ、竜馬が懐かしいような見知らぬような表情を見せる度に、その炎は一層、感情という酸素を得て激しく燃え盛るかのようだった。
それでもまだ彼が間違いなくここにいると確信する決心がつかないのは、まだ充分に彼のいる空間に身を馴染ませていないせいか。彼の身体を支えた時のように、その肌に触れればもう少しは自信も持てるのだろうか。
そんな考えがどうにも下心じみている気がして、横にいる彼の身体のどこか――とにかく、触れられれば髪の先でも爪の先でもどこでもよかった――に触れたくなる度に、隼人は己を戒めるように冷えた酒のグラスに指を運んだ。

さて、どうしたものか。
「まさか本当に泊まってってくれるとは思わなかったぜ。一応空き部屋あるけどよ、あんまし開けてねぇから埃っぽいんだよ。掃除するからちょっと待ってろ。…まぁ、お前がいやじゃなけりゃ、俺の部屋に布団持ってきても良いけどよ」
昼と比べると随分と遠慮がなくなった笑顔でそう話す彼に、隼人は手間だろうからお前の部屋で良いと答えた。本心は、竜馬の部屋に入ってみたくて仕方がなかった。
湯を貰い、竜馬の寝衣を借りた。いつ出先に泊まることになるか解らないため、宿泊に必要な最低限のものは持ち歩いていたのは幸運だった。
自分と入れ替わりに風呂に行く前の彼に促され、烏龍館主人の私室に通された。ついでに浴衣の帯を少し直され、間近で触れる体温に隼人は年甲斐もなくどぎまぎとした。
特に広くもない質素な畳張りの部屋で、布団二枚を敷き小さな座卓を出せば、床の面積はほとんど埋まった。もの要らずの彼には、この広さで十分らしい。
元々は宿坊として使われていただろう離れに弟子達が引っ込めば、広い道場は先程までの賑やかさが嘘のようにしんと静まり返る。その静けさが、逆に隼人の心をぞわぞわと掻き立てた。二人きりだ。そう、自覚してしまうせいだった。
どうやら寝る前にまだ飲むらしい酒とつまみを用意しに行った彼を待ちながら、隼人はぼんやりとこれからのことを思案し始めた。
きっと、大丈夫だ。彼の友としての自分でこの夜を越えられる筈だ。だがそれで良いのか?隼人はそう自問した。
もしも、もう一度彼に会えれば、きっとそれだけで充分だ。そう思って竜馬が居ない時を生きてきた。しかし再会してそう日もたたぬ今、既に隼人は二度と彼と離れ離れになりたくないと感じている。竜馬と共に過ごす時が一時増えるたび、その思いは乗算で増えていくようだった。今夜をただ何事もなく、昔の話でもしながら過ごして、明日の朝ここを出ればまた次いつ会えるか解らない。
そんな乾いた関係は今はもうまっぴら御免だった。
「取って置きのやつもってきたぜ」
ガラララッと勢いよく部屋の戸を開けた竜馬が、自慢気に笑う。格好は隼人と同じ寝衣だ。手には日本酒の瓶が握られていた。
「随分、飲むようになったな」
元々飲めない質ではない。だが、昔は三杯も飲めば頬がほんのりと色付いていた。そのことを思い出し、隼人は声をかけた。それをからかって、頬を染めた竜馬のむきになって怒る姿を見るのは、昔の自分の密かな楽しみの一つだった。
「こんな山ん中じゃ酒のむぐれぇしか娯楽ねぇんだよ」
「そうか」
そう答えて、竜馬は早速二つのグラスに酒を注いだ。
乾杯だな、と軽くグラス同士を合わせられた。嬉しそうに杯を煽る竜馬の横で、隼人もまた酒に口をつけた。
「さっきも随分飲んでいたが、傷に障らないのか?」
「言ったろ、もう全然平気だって…ほらよ」
一度グラスを置いてそう聞くと、竜馬は視覚で教えようと、浴衣の袷をがばっと広げた。
「な、ここ、もう塞がっちまってるだろ?」
「あ………、あ、ぁあ」
なんのてらいもなく無防備に晒される素肌を凝視して良いのか戸惑うのは、先程の問いかけが既に下心含みだったからだ。食事の時、竜馬は弟子に同じことを聞かれて同じように袷をはだけて肌を見せていた。だが、隼人の位置からでは背中しか見えなかった。本当に平気なのか確かめたい思いと、竜馬の肌を見たい思い。彼を案ずる心と下心がせめぎあっていたが、どちらも切実なものであることに変わりはなかった。
腹の縫い痕は随分薄れていた。確かに、既に塞がっていそうだった。
「…触っても、良いか?」
「?…おぉ、別にいいぜ」
堪えきれぬ心のままに隼人がそう訊くと、竜馬は少し不思議そうな顔をしながらも承諾した。
少年の頃にも幾度かしか覚えたことがないほど、鼓動が早く波打つのを感じた。そっと、傷痕をぴったりと掌で覆う。竜馬の肌の温もり、かえってくる健康な皮膚の強さ、既に塞がりながらもなお伝わる傷の縫い目の痛ましさ。
いくつもの強い感情が、ぐるぐると渦巻き混ざりあう。
「確かに、塞がっているな。治りが早いようでよかった」
こんなに渇いていたか?と、自分でも少し焦るほどかすれた喉で、隼人はやっと言葉を紡いだ。
「…おめぇのほうが、傷だらけだろ」
今まで聞いたこともないような切な気な声を投げられ、隼人ははっとしたように竜馬の顔を見た。まるであの日のような、辛そうな瞳にぶつかる。
「竜馬――俺が自分で選んだことだ。お前にそんな顔をされる筋合いは無い」
確かに、恐竜帝国と最後の決着をつけるまでのいきさつのなかで、隼人が失ったものは少なくはない。その身に大きな傷を負ったのは竜馬だけではない。隼人ももう、ゲッターには乗れぬ身だ。
きっと、心中では自分で自分を責めているのだろう。案外と一人で抱え込み勝ちな竜馬が今どう辛いのか。すべては解らないが、察することぐらいは隼人には出来た。きっと、あの時自分が感じた歯痒さと少しばかりは似ている筈だ、とも思った。
「…でも、俺は」
「お前と、もう一度会えて良かった」
あの頃はただ、竜馬が自分で傷を癒すのを待とうと思った。だが、今竜馬が感じているだろう辛さは、なんとか取り除いてやりたかった。 そう思って、心のままを竜馬に打ち明けると、彼はじっと隼人の瞳を見つめ返した。
「――俺も…」
ぎゅ、と竜馬は、腹に当てられている隼人の手を、上から握り締めた。
掌と視線の二つが重なる。どちらもお互いだけを感じていた。きっと、今までのうちで一番強く。
竜馬の肌に掌を包まれながら、隼人は奇妙な心地がしていた。竜馬の瞳に、まるで自分と同じ類いの愛しさの色が浮かんでいるかのような気がした。
「…今度はよ、號達も連れてこいよ。俺は大抵ここにいるからよ」
しかし、それは一瞬だった。そっと掌を離して、竜馬はそう言って笑った。
彼からの熱を奪われ、その認識を己のうぬぼれだろうと処理した隼人は、それでも竜馬の口から取り付けられた『次の約束』に心を震わせていた。

口火

おそらく上手くやれている。烏龍館の門を前にして、隼人は改めてそう思い直した。
初めてここに泊まった夜からもう数ヵ月過ぎた。約束通り、號達と共にも幾度か訪れた。本人が気にならないと言うので、翔も一緒にだ。いわゆる夏休みの田舎体験のような道場生活は、年若い三人には新鮮で楽しかったらしい。特に號は道場での組手修行に興味を持ったようだった。
世の中には色んな強い奴がいるもんだ。いつか修行の旅にでも出てみたい。最近、號の口からそんな言葉を聞いた。翔も剴もそれぞれに将来考えている進路はあるらしい。これからも世界がこともないままであれば、あの若者達には三人三様に望む道を進ませてやれるかもしれない。ここ最近はそんなことを考える余裕がある程に、環境も安定していた。
しかし、ネオゲッターチームを連れてきたことも幾度かはあったが、大抵の場合は隼人一人での訪問だった。最近では、休みがとれれば自分の部屋を放り出してほぼこちらに来てしまっている始末だ。一応毎回竜馬に事前の連絡はしているし、彼はいつでも隼人を快く迎えてくれているが――流石にべったり過ぎて変に思われているんじゃないかと、少し不安にもなっていた。
今日は、電話に竜馬の内弟子が出た。どうやら弟子の中でももっとも付き合いが古いらしく、他の弟子達のまとめ役にもなっている大男だ。
師範は出稽古で不在ですが、夕方には戻る筈なのでどうぞこちらでお待ちください。低く張った人の良さそうな声で言われ、隼人はその言葉に甘えることにした。
「よくおみえになられました」
竜馬や隼人よりもさらに上背がある内弟子に深々と頭を下げられ、隼人は道場の奥にある床の間に通された。
幾度か通っているうちに、隼人はこのいかにも古風な和室が気に入りになっていた。特に際立った調度もない質素極まる部屋だが、家屋と言うのは主人の人となりに幾らか影響を受けるのか、柱の木目やおそらくきちんと干されているだろう畳の目にはどこかしら暖かみが宿っている気がする。この空間に包まれるのは、落ち着くのだ。
「電話でもお話しした通り、師範は本日は稽古にでております。おそらくお帰りはあと半刻程後になるかと」
「成る程…ありがとうございます」
茶を出されて、弟子にそう告げられた。
意外だったが、竜馬は外稽古にも出ていた。しかも、相手は小学生になる前後くらいの子供達だ。
『髪もよ、のびすぎてじゃまかなぁと思うんだけど、なげぇ方が子供ウケいいんだよなぁ』いつぞや竜馬は隼人の前でそんなことを言って笑っていた。隼人が長いままでもいいんじゃないかと返すと、竜馬は『そっか』とやけに嬉しそうに言った。ただ、そう返した時の隼人の心中には親切心以外の感情が含まれていた。
有り体に言えばそれは、竜馬相手にはどうも押さえきれない下心だ。
泊まった夜は竜馬の部屋に二つ布団を敷いて、幾らか酒をやった後寝るのがもう習慣になっていた。隣で寝るのは早乙女研究所に詰めていた頃以来だったが、その頃とは違い敵の奇襲や抜き打ちの夜間訓練に備える心構えをする必要もない。彼とこんな風に隣り合って安らかな夜を過ごせるのは、隼人にはこの上ない贅沢に思えていた。
そして寝入り際、竜馬が横の布団にもぞもぞと潜り込んだ後、半身を起こした状態で髪の結わえ紐を解く瞬間は、夜目にもやけに色っぽいのだ。ほどけた髪がふわりと背中に広がる瞬間も、隼人は好きだった。これから別々の布団で朝まで過ごすのは、生殺しだと思える程には。
「神さん…少々、お時間をいただいてよろしいでしょうか」
そんな回想に浸っていると、先程の弟子に声をかけられた。
「…なんでしょうか、そんなにかしこまって」
座卓の横についていた弟子に問い掛けると、彼は大きな体をのそのそと動かして隼人の正面に座った。
「師範がお戻りになる前に、折り入って、お話ししたいことがあるのです」
「…どのような、内容でしょうか」
まっすぐ隼人を見る弟子の真剣さに、流石にそろそろ『分別を忘れすぎだったか』と隼人は感じた。幾ら師の友とはいえ、弟子達にしてみればよくわからない男に月に二度も三度も来られれば疎ましくもなるだろう。しかも、滞在の度に食費だ世話代だと心ばかり置いていこうとする手間賃は、みずくせえことすんなと突っ返されて結局一度も竜馬の手に渡ったことはない。どうみても遣り繰りに苦心していそうな道場に、月数度とはいえ食いぶちが増えては竜馬は平気でも弟子達は気が気でないだろう。
俺は出すぎた。再会の喜びに浮かれすぎていたのだ。来るべき時が来ただけだ。隼人はそう己に言い聞かせ、覚悟を固めた。
「実はですね…」
「はい」
「私が、師範に救われたのは、あの方が道場を構える数年前だったのですが」
「…はぁ」
突然、脈絡のわからない昔語りが始まり隼人は無表情の下で面食らった。
「もともと、図体ばかりでかくて、ウドの木のような男なんです、私は。師範と出会ったのは、家の道場が駄目になり自棄になって縊死でもしようかと森にはいったおりでして。悪いことに熊に出会いましてね。お恥ずかしい話ですが、自分で死のう死のうと思っていてもイザ目の前から死の影が迫ってくると、人間ウワァっと生きたい思いが燃えはじめてしまうものなのですよ。必死に逃げましたが、逃げたのがまた駄目だったんでしょうね、追われましてね。私がもうダメだとおもった瞬間、向かい来る熊を素手の一撃でのして、守ってくださったのが師範なんです」
「…あいつらしい」
「そうでしょう、そうおっしゃられると思いましたよ」
にこり、と大男は少し打ち解けた風に笑った。
「他の者も、ここにいるのはそれぞれ様々な事情を抱えていて、師範に救われた者ばかりです。私達は皆、師範を心より慕っております」
「はい」
成る程、この道場に詰めている弟子達が隼人の見立て通り竜馬を慕っていることは解った。だが、それが本題とは思えない。
「で、ですね、お話と言うのはその…なんといいますか、私共は師範との付き合いがそれなりに長いお陰で、師範が色々な人と関わるところを見てきたのですよ」
「…」
ぞわり、と嫌な予感が隼人の背筋を走った。まさか。
「ですから、解るんです。誰かが師範に『惚れて』いることは、私どもは結構すぐに勘付いてしまうんです」
「…」
「勿論、今まで師範に惚れていた方と、貴方の惚れ方は違う――貴方が師範を見る目は…なんというか、夫が嫁御を見守るかのようだ」
多少ほほを赤らめながら、武骨な弟子はなんとか言葉を紡いだ。
「…気付かれてしまっては、仕方がないですね」
苦笑して認めることしか出来なかった。ここまで見抜かれる程に解りやすく接していたのかと思うと、恋情を認めて敗北した方が潔いと思えたからだ。
「ですが、私の一方的な感情です。彼に無理矢理手を出すような真似は誓ってしません」
おそらく警鐘を鳴らされるのだろう。そう思って言うと、この大男は意外にも複雑そうに眉根を寄せた。
「…………いや、それが、そのですね」
「…?」
もごもごとしばらく喉で言葉を選んではつっかえさせているようなそぶりを見せていた内弟子だったが、隼人が怪訝な顔をしているのを見て、やっとしっかりと声を出した。
「…師範は今まで、誰かに思われてもその事に気づくそぶりを全く見せたことが有りませんでした」
「…あぁ、あれで案外そういうことには鈍感だからな、あいつは」
それに関しては弟子達よりも隼人の方がよく知っていた。高校時代からだ。付き合いたいだのなんだの言っている割りには彼は、本当に自分に惚れているひとの心にはなぜか気づかないものだった。お陰で隼人はある程度竜馬に対して下心含みで接しても、全く安全だった。時に余りに察されなさすぎて悲しくなるほどに、安全だった。
「ましてやあの方から誰かに懸想する姿なんて私達は見たことがなかった…のですが、その、貴方といる時の師範は…まるで」
「…?」
「貴方が来られるようになってから、師範は変わられました。元々笑わない方というわけではなかったのですが、あの方があんなに明るい、まるで子供のような笑顔を知っているとは、私達には想像できませんでした」
「――それは、私とは関係ない。あいつは自分の運命に決着をつけることができたんだ。本来はああいう男だ。自分を取り戻しただけでしょう。」
弟子の言わんとすることを汲み取り、隼人は慌てて弁明した。まさか、そんな筈はない。じわじわと胸の奥に沸く興奮を圧し殺し、隼人は苦く笑った。
しかし、弟子は大きくかぶりを振る。
「…ですが、私どもにはそう思えません。貴方のそばで笑っているときの師範の笑顔は…私どもに向けられるものとおそらく一見は同じですが、実際は全然違うものに見えます。…まるで、貴方に心を預けきっているかのような笑顔だ」
「そんな――」
「それに、師範は本来食事の当番の際には、その時道場にあるもので料理を拵えることが出来る方なのです。それが、あなたが来られるとわかった日には当番をかって出て、わざわざ自ら町に降りて買い出しまでして、貴方の好物を作ることに執心なさる」
「…!」
確かに、ここに来る度に竜馬に出される食事は、いつでも隼人の好きなものだった。だが、ただの偶然だと思っていた。竜馬にわざわざ、今日はお前の好物だと言われたこともなかった。
「塩が切れた醤油が切れた等と言い訳なさいますが、実際切れていたためしがない。それに、貴方のことを思って飯を作っている時の師範の表情は、なんといいますか…その…」
言いかけて、筋骨逞しい大男はまた暫し口をつぐんだ。見ている方が居たたまれないような表情だった。
「本当に、貴方の嫁御のようだ…」
小さな声でぽつりと続けられた言葉に、隼人はガンッと頭部を打たれたような衝撃を受けた。
「嬉しそうに笑いながら、貴方はこれが好きだったと私どもにお話になるのです。さりげない一言なのですが、どうも照れ臭そうな表情で言うものですから私どもはもう何をどう返せばいいのか――神さん?」
弟子に怪訝な目を向けられ、隼人はやっと自分の頬が熱を持ち、表情が硬直しているのが解った。
「…あ、いえ、その」
竜馬に関わる事では、すぐこうだ。あの再会の時も、初対面にも関わらず彼と何だかんだと怒鳴りあう號の横で、隼人は今思えば間抜けにも、ただ目の前の竜馬の姿をひたすら見つめ続けることしか出来なかった。
「…その分ですと、案外本当に師範に惚れているようですな」
静かに慌てる隼人を見やり、弟子は今までとは打って変わって穏やかな笑顔になり、隼人を見た。
「案外、といわれましても、こっちは学生の自分から、勝手に好きでいるもので…我ながらしつこくてうんざりしますが」
「ははは、神さん程の人なら引く手あまたでしょうに、心変わりもされたことがないのですか」
「そんなことは。――幾度か、諦めようと言い聞かせたこともあるのですが…結局引き戻されてしまう」
「でしょうでしょう、師範に惚れてそう易々と他の誰かに心変わりなど出来よう筈もありません!」
突然上機嫌になった弟子は、愉快そうに声を大にして笑った。
「いやぁ。申し訳ない。正直初めは私どもの中には、師範が貴方にたぶらかされているのではと思っていたものもいたのです。とんだ誤解をしたものです。申し訳ない」
「はぁ…」
曖昧に返事をしながらも、隼人は心中で本当にたぶらかすことができればどんなに楽かと思った。
んんっ、とひとつ咳払いをして、弟子は改めて口を開く。
「…神さん。私共はこんな山の中に籠って武道に明け暮れるような、おそらく一般社会とは少しずれた人間です。弟子の中にはじつは家庭のあるものもいますが…みな、多少普通の形ではなくても師範が幸せならばそれが一番と思っています」
「…」
「ですからもし師範が、貴方を選んだとしても、我々の方では反対なぞはしません」
「!」
思わずグッと、隼人は胡座の膝の上に置いていた手を握りこんだ。まさかの一言だった。
「本当…ですか?」
圧し殺した声で聞くと、目の前の大男はこくりと首をたてにふった。だが、その眼の奥には、未だ隼人に竜馬のすべてを許しきったわけではないと言わんばかりの光が宿っていた。
「ですが――私には詳しいことはわかりませんが、貴方は立場のある方だ」
「…いや。ただ私は、私に出来ることをやっているまでです」
先程までよりも低い声で告げられ、隼人は否定する。それは隼人の本心だった。
「そうは言っても周囲の目もあるでしょう。もしも、もしも貴方と関わることで師範が望まぬ害を被ることがあれば…」
隼人の真剣な表情を一度確認して、弟子は言葉を続けた。
「私どもが、師範と貴方をどんな手を使ってでも必ず引き剥がす。――それだけは、覚えておいてください」
流石竜馬の弟子だと言わんばかりの、抜き身の刀身のような眼光だった。しかし、隼人にはもうそのくらいで臆する気など無い。
寧ろ、心中は愉快だった。
「…笑って、おいでですか?」
その思いは表情にも現れていた。圧し殺すように、隼人は低く笑っていた。
「ふ…。はは、いや、あいつは本当に、貴方たちに大切に想われているようで…安心しました」
「…成る程。ですが貴方が以前連れてきたあの若者たちも、貴方に同じことがあればきっと、貴方を守ろうとするはずだ」
「ははは、どうだかな…ですが、お気持ちはありがたく受けとります。あいつが本当のところはどう思っているかはわかりませんが…」
「惚れている――と私共は思っているんですがねえ。ですが師範自身がどこまで気づいているかは、やはりああいった方ですから、なんとも…」
「もしもそうだったら私は、慶びでどうにかなってしまいそうだ」
目を伏せ、笑みを浮かべながらも、隼人はいまだ半信半疑だった。確かに、弟子の話によれば竜馬は隼人を随分気にかけてくれているようだ。だが、それは彼の元々持っている親切心の範疇のような気もする。
しかし、もしも言われた通り、竜馬の方でも隼人に少しは通常の友情以上の想いを持ってくれているならば――。目の前の弟子の言う通りの、そんな気持ちで己を迎えてくれる気配があるのなら。
「私は――」
「帰ったぞー!ん?なんだ、隼人きてんじゃねぇか!今日早いな!」
唇を開いた瞬間、ガラララと引き戸を開ける音と、玄関から和室まで響く、はっきりとした発声が聞こえた。
「師範!あ、神さん…あの…」
「ええ、先程の話は他言はしませんので、ご安心ください」
「すいません。…師範、神さんがお待ちです」
気まずそうに己を見る内弟子にそう告げ、隼人は竜馬を迎えに出るその背を見送った。部屋に一人になった隼人は、竜馬を待ちながら随分ぬるくなってしまった茶をすすった。
「よう!ちょっと待ってろよ、俺も茶ぁ飲みてぇんだ」
パン、と引き戸を開けて竜馬が顔を出す。
「あぁ、おかえり」
「…おう、ただいま!」
邪魔している。そう言おうと思ったが、いかにも稽古帰りの竜馬の姿を見た瞬間に、隼人は無意識に迎えの挨拶をしていた。ニッと歯を見せて笑い、竜馬はその言葉に応える。弟子達に向けるものとどう違うのかは隼人には解らなかったが、確かに竜馬の笑顔は、本心からのものに見えた。

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2015.01.06 UP

多分たまに来る隼人と竜馬があんまり素でいちゃつきまくるので、弟子の間であれはどいうことなんだろう会議が開かれたんだと思う。

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