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現と現(うつつとうつつ) 2


何故、自分は今の状態を事実として受け入れるんだろう。
白い壁に囲まれた部屋で、隼人に似た男がいて…一緒に散歩をして…全て、到底現実味はない出来事なのに。
そういえば、夢の中では絶対にあり得ない出来事があってもそれを不思議だと思うことは少ない。ならば、自分は今夢を見ていると考えた方が自然なんじゃないだろうか?
――夢………

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『どこだ、ここは』
『身体中、軋むように痛い』
――殺してしまうには、惜しい
――我々の……として……に
『誰か、話している』
『何を?』
――手術は…いつ…
――我々にも……あまり時間が……
――…しかし…顔の傷が塞がらない事にはどうにも…
『傷?顔に?』
『ああ、疼く…掻きむしりたい程に…』
『俺は…』

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誰かに腕を強く捕まれ、竜馬の意識は一気に覚醒した。
「…じん…さん?」
部屋はまだ暗い。その闇の中で、自分の手をとったであろう人物の名を呼ぶ。
「あまり掻くと、顔に傷がつくぞ」
「あ……」
言われて、右の頬が少しひりつくことに気付く。
どうやら、随分と寝汗もかいていたようだ。背中がうっすらと寒い。
神が、部屋の明かりをつける。
備え付けの時計は、午前3時を暫く過ぎた時刻を指していた。
「結構な力で掻いたな…これは…この身体でも傷は出来るか…」
「神さん、俺…」
神の指が傷の深さを確めるように頬に触れる。
竜馬は、神に何かを告げようとして…しかし、何を告げようとしたのか思い出せず、黙りこんだ。
「まぁ、そこまでは酷くないが…少し血も滲んでいるしな…一応、薬を塗っておいた方がいい」
竜馬の傷の具合を判断した神は、薬を取ってくる。と言ってベットサイドを離れようとした。
きびすを返す神の、たなびいた白衣の裾を竜馬はぎゅっと掴む。
「リョウ…?」
意外だったのだろう、竜馬の行動に神は振り返る。
「…どうした?」
優しく、頭の上に神の手のひらがかぶさり、あやすように撫でられる。
「怖い夢でも、見たのか?」
完全に子供扱いだ。そうわかっていても、竜馬は神の『夢』という言葉にすがりたかった。そうだ。夢だ。きっと悪い夢――。
(でも、ならば、俺が今いるこの場所は…? )
「神さん…」
「ん?」
呼べば、神は応えてくれる。
「なんで、ここにいたんだ…?」
だが、リョウには乾いた喉でそう聞くことしかできなかった。
「リョウが、うなされているような気がしてな」
「………」
そう言う神の声音はひどく優しく、だから、竜馬はどうしても訊けなかった。
(本当は、こっちも夢なんじゃないのか―――?)

昼の間は、特に変わったことはなかった。
神は自分が呼べばいつでも来てくれたし――そのために、神が自分の仕事の時間を裂いてくれていることは薄々感じていたが、竜馬は罪悪感を感じながらも気づかないふりをしていた――竜馬が退屈しないよう、色々と心を砕いてくれた。
それでも、夕刻が近付くとだんだんと不安になる。
夢は――自分自身がどことも知れぬ場所にいるあの夢は、日に日に鮮明になっていく。
顔を掻きむしることはもうなくなった。その代わり、夢の中の自分は包帯を巻かれているようだった。
自分の回りに居るらしきやつらの声はまだ良く聞こえない。おそらく、恐竜帝国のものではないだろう――。だが、しきりに竜馬の身体を意のままに操ろうとしてくる。
何かを命じられ――暴れると、電流のようなものを体に流され――。
たまらず飛び起きると、そこは白い部屋だ。
まるで、夢と夢の間を行き来しているような生活が続いていた。
だが、出会った時に神は言った。『時が来ればお前は帰れる』と。帰る――どこへ?あの夢がやはり、帰るべき現実なのか…ならば、自分は一体何をしに…?

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「寝たくない?」
夜も更けてきたからと、座を立とうとした神は、竜馬からの意外な言葉に目を丸くした。
「いや、たださ…まだ、寝なくてもいいじゃねーか、日も変わってねぇし」
「…とはいってももう11時過ぎだしなぁ。ちゃんと寝ないと背が伸びんぞ」
「研究所じゃ夜勤もあるし今さらちょっとくれぇ平気だよ!なー神さん、いいじゃねぇかよー」
駄々をこねる子供のようだと自分でもわかってはいたが、なんとなく…特に、今日は眠りたくなかった。ざわざわと、胸が騒ぐ。
「まだ、怖い夢を見るのか?」
「べっ、別にっ…そんなんじゃねーけど…っ」
図星を刺され、竜馬は言い淀む、それでも夢のことは、なんとなく神には教えたくなかった。
「…添い寝でも、してやろうか?」
「え?」
それは、竜馬にしてみれば考えたこともないような提案だった。
「はは、冗談だ。そこまで子供でもあるまい」
ぽかんと口を開けて動きを止めてしまった竜馬に、流石に呆れられたと思ったのか神は直ぐに発言を訂正する。
「まぁ、難しい事は考えずさっさと寝てしまうことだな。じゃあ、おやすみ」
「ま、まってっ…!」
数日前と同じ様に、去ろうとする神の白衣の裾を掴む。だが、その力の強さは、以前の比にはならないほど強かった。
「そ、添い寝って…頼んだら、してくれんの?」
驚いたように見下ろす神の顔を、恐る恐る見上げる。
今まで竜馬は、年上の男性にこんな風に甘えたことはなかった。
父親は武道以外知らないような武骨な男だったし、それ以外の年嵩の男性も、そんな対象になるほど身近だったことはなかった。ましてや、母の胸さえも竜馬はろくに知らなかった。
そもそも、普段の竜馬なら誰かに甘えるなど、自らの自尊心から許さなかっただろう。だが、目の前のこの男なら――神なら、甘えても良いかもしれないと竜馬は思っていた。
何故か、彼といると安心する。本当に知りたいことはなにも教えてくれないにも関わらず、竜馬はいつのまにか、友に似たこの男に信頼を寄せるようになっていた。
「………参ったな…」
少し困ったように眉根を寄せて自分を見上げる竜馬に、神は心からそう思っているというように呟いた。
「…いや、でも結局同じことか…だが……」
神は、しばらくの間目線をさ迷わせながらしきりに何かひとりごちていたが、やがて竜馬の目をじっと見ると、諦めたように呟いた。
「一応、許可が降りるか聞いてくる…少し待っていてくれ」

「あぁ、あぁ…わかっている………するか!そんなこと……大体、そこまで警戒するようなことか?……い、いや、まぁそうだが…少しは信用しろ……それは…仕方がないだろう………」
神が懐から取り出した小さな端末で――それは、竜馬達が使っている腕時計型通信機と同じ様な役割を果たしているらしかった――誰かと話している間、竜馬はその背をじっと見ていた。
(ひょっとして、奥さんかな?)
そう思いながらも竜馬は、神が身近な人に話す言葉の抑揚に、なんだか懐かしいものを感じていた。
「あぁ、解っているから……あんまり心配するな……あぁ…じゃあ、後でまた」
何やら随分と言い合っていたらしいが、どうやら話がまとまったらしく、神は通話機を懐に戻して竜馬の方に向き直った。
「遅くなって悪いな…一晩中とはいかんが…お前が寝付くまでなら平気らしい」
「………なんか、すいません」
「なんだ、そうしゅんとするな。今夜は寂しくないぞ」
自分から言い出したこととはいえ…思わず恐縮した竜馬を見て、神は気にするなと笑った。

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神が寝支度をするのを待って、竜馬は電気を消しベッドに入った。
「二人だと、やっぱ狭いかな?」
竜馬が使っていたベッドはけして小さくはなかったが、背も高くかなり体格もいい神が一緒に寝るとかなり狭そうだ。
「まぁ、私はリョウが寝たら部屋を出るからな…リョウこそ大丈夫か?」
「んー…もっとこっち…」
続いて布団に入ってくる神の場所を作るため、竜馬はベッドの少し奥に寄った。
「あぁ」
言いながらも、遠慮しているのか、神は竜馬と一定の距離をとって布団の奥には入ってこない。
それでも、同じ空間に自分以外の温もりを感じ、竜馬は落ち着きを覚える。
「俺、誰かと寝るのって初めてだから…なんか、不思議な感じ」
「ん……そうだったのか?」
竜馬がそう言うと、神は目を丸くした。
「それは……勿体ないことをしたな…」
「ん?なんか言った?」
「いや、なんでもない」
神は結構独り言が多い。
竜馬は、度々自分と話していて何かを呟く神の姿を思い出した。
「さっきさ――神さんが話してたの、奥さん?」
「ん?…あぁ、まぁそうだな」
「なんか神さん謝ってたけど…あんまり遅くなると家にいれないわよ!って言われた?」
最近テレビドラマで見た台詞を思いだし、竜馬は言う。
「そんなことは言われないさ。留守にするのは、あいつの方が多いぐらいだ」
「え?奥さんも働いてるの?」
「働いてる…か…。どっちかって言うと、好き放題やってるって感じだな、あいつの場合。昔から、危なっかしくてひやひやさせられっぱなしだ」
「付き合いなげーんだ」
「まぁ、それなりに…な。なんだ、そんなに気になるのか、俺の連れ合いの話が…」
「だって神さん、他の事は聞いても教えてくれねぇけど、その話しはしてくれるじゃん」
「あぁ、成る程な…」
「出会ったときからずっと、奥さん一筋?」
「いや…ずっと、心の中にはいたが……他の人を愛したことも、ないと言えば嘘になるな」
「えー、意外と浮気者だなぁ…」
「はは…それは、お互い様だ」
「へぇ…なんか複雑だな」
「あぁ、そりゃあ、複雑だな…ものすごく」
言いながら、神は目を細めて笑う。
なんとなく、大人の世界を垣間見たような気がしたが、竜馬にはどうにもそう言った事情は理解できそうになかった。
「奥さん、大事にしなよ?」
「お前がそれを言うのか…」
「え?」
「いや、大事にしているさ…俺に出来る範囲でな」
いつのまにか、神の一人称が私から俺になっていることに、竜馬は今さら気がついた。
「リョウは…いないのか?好きな子」
「えっ!」
思いもよらぬことを聞き返され、竜馬はたじろぐ。
「お、俺のことなんてどーでもいいだろ!だいたい!そんなこと考えてる暇なんか俺今ねーよ!」
自分が相当ムキになって言い返していることに、竜馬は気づかない。
「どうだか…ミチルさんという人の話をしているときは、偉い美人だと言っていたじゃないか」
「そ、それは…その…ただそー思ってるだけで…」
「そうか…じゃあ、そういうことにしておいてやるか…」
「なんだよそれ!」
意地の悪い神の言い方に、竜馬は身を起こしかける。
「こら、寝るんだろう」
そんな竜馬の肩を、布団の上から神の手が押さえる。
わがままを言っている手前、それ以上強く出ることが出来ず、竜馬はおとなしく布団の中に戻った。
「っとに…神さんって時々意地悪ぃよなぁ」
「あぁ、流石に自分でも善人だとは思っていないな…すまない」
口先では謝りながらも、楽しさを隠せないように笑っている神を見て、竜馬は小さくため息をつく。
「…そう怒るな、すまん、眠いところに話しすぎたな…」
「ん…いいんだけどさ…」
神はそっと、自身の方を向いて横向きに寝ている竜馬の髪に手をやる。
優しく頭を撫でられると嫌な気はしない。時々神はこうやって竜馬の髪を撫でることがあるが、神にされるそれは、なんだか落ち着くので竜馬はいつもやめろとは言えないのだ。
「ふぁ…」
どのくらい、そうしていただろうか。
小さく、竜馬があくびをする。大きな瞳も緩やかに伏せられ、長いまつげが暗闇のなかでもうっすらと影を作っていた。
「おやすみ、リョウ」
遠くで神の声が聞こえた気がしたが、竜馬はもう頷くことさえもできなかった。



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